鎌倉殿の13人 大河ドラマ館

鎌倉殿・13人の重臣たちThe Shogun and The 13 Lords

鎌倉殿・13人の重臣

治承4年(1180)、源頼朝は平家打倒の兵を挙げます。そのはじまりは、僅かな兵からなる「反乱軍」でしたが、勢力は瞬く間に膨れあがり、新たな政権「鎌倉幕府」を創り上げていきました。頼朝のもとに集った人々は、自らの主の意を込めて、頼朝を「鎌倉殿」と呼びます。頼朝の死後、息子頼家が鎌倉殿を継承しますが、その地位は決して安定したものではありませんでした。この鎌倉殿を支える存在として選ばれたのが、北条義時をはじめとする13人の重臣たちでした。彼らは9人の東国武士と4人の文筆吏僚で構成されていました。

  • ・北条義時(1163~1224)

    頼朝の義弟。頼朝の死後、鎌倉幕府における北条氏の地位を確実なものにした二代執権。

  • ・北条時政(1138~1215)

    北条義時や頼朝の妻・政子の父。有力御家人と競合し、北条氏の地位を高めた初代執権。

  • ・安達盛長(1135~1200)

    頼朝の乳母・比企尼の親類で、伊豆の流人時代から頼朝に仕え続けた側近。

  • ・梶原景時(?~1200)

    石橋山の合戦で頼朝の危機を救った、鎌倉郡梶原を拠点とする敵多き知将。

  • ・比企能員(?~1203)

    頼朝の乳母・比企尼の養子で、北条氏と権勢を二分した。2代鎌倉殿・源頼家の義父。

  • ・三浦義澄(1127~1200)

    源氏累代の家人・三浦氏の出身で義村の父。幕府の本拠地相模国の守護。

  • ・和田義盛(1147~1213)

    三浦義澄の甥で侍所の初代別当(長官)。代々の鎌倉殿に近侍した重臣。

  • ・足立遠元(生没年不詳)

    頼朝挙兵以前からの源氏の家人。文筆に長け公文所で活躍した武士。

  • ・八田知家(生没年不詳)

    頼朝の乳母・寒川尼の兄弟。代々の鎌倉殿に近侍した重臣。

  • ・中原親能(1143~1208)

    大江広元の義兄弟。鎌倉と京都の連絡役を務めた頼朝の知己。

  • ・大江広元(1148~1225)

    京都から下った実務吏僚。政所の別当(長官)として活躍した鎌倉殿の側近。

  • ・三善康信(1140~1221)

    頼朝に京都の情報を伝えた下級文人貴族。問注所の初代執事(長官)として活躍した実務吏僚。

  • ・二階堂行政(生没年不詳)

    母方が頼朝と同じ熱田大宮司家。京都で財政のキャリアを積んだ実務吏僚。

北条義時

ゆかりの地について

  • ゆかりの地01

    法華堂跡(北条義時墓)​

    ゆかりの人物:北条義時

    (鎌倉市西御門2-757)

    北条義時の没後、供養のために建てられた墳墓堂(法華堂)の推定地です。平成17年(2005年)の発掘調査で堂跡の遺構が発見されました。堂は鎌倉時代後期には廃絶したとみられています。背後には、宝治合戦で敗れた三浦氏一族にゆかりがあると伝わり今も供養されている「やぐら」や、江戸時代以降に整備された大江広元等の墓所があります。

  • ゆかりの地02

    大倉幕府跡

    ゆかりの人物:源頼朝・13人全員

    (鎌倉市雪ノ下3丁目​)

    源頼朝が大倉に御所を構え、幕府を開いたことから、便宜上、大倉幕府といいます。頼朝の御所の周囲には、有力御家人の宿所や幕府の役所が置かれていました。江戸時代の地誌から推定して、現在の清泉小学校の敷地を中心とする地域にあったと考えられています。

  • ゆかりの地03

    覚園寺

    ゆかりの人物:北条義時

    (鎌倉市二階堂421)

    吾妻鏡に記された北条義時の危機を救った霊験(れいげん)をもつ戌神将を祀った大倉薬師堂が、覚園寺の前身とされています。現在の薬師堂に安置されている十二神将は室町時代のものですが、鎌倉北条氏の信仰を今日まで受け継ぐ寺院の一つです。​

鎌倉殿・13人の重臣
ゆかりの地をめぐるコース

鎌倉には今なお、幕府の象徴である鶴岡八幡宮をはじめとする社寺や切通しなど、往時の雰囲気を偲ばす史跡が残ります。
鎌倉殿やそれを支えた13人の重臣ゆかりの地を巡り、新たな鎌倉を見つけてください。

周遊マップ
・鎌倉殿・13人の重臣ゆかりの地周遊マップPDF
TOP